松本謙一氏の鉄道模型観──「とれいん」創刊号のエッセイより

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 1975年の「とれいん」創刊号では、松本謙一氏という方が、「けむりに巻く話」というエッセイを書かれています。今回のブログではそのエッセイから、松本氏の鉄道模型観について分析したいと思います。

 エッセイを読み進めてゆくと、松本氏は鉄道模型について次のように語られています。(以下、エッセイの本文より引用)

“・・・しかし、子供ながらに鉄道模型に常に一つの意識を抱いてきた。それは“これは普通のおもちゃではない”ということである。・・・”

引用文中では、「鉄道模型は普通のおもちゃではない」という松本氏の考えが読み取れます。でもその中身は詳しく読み解くと「鉄道模型はおもちゃである。(※ただし普通のおもちゃではない)」といったものでもあります。「鉄道模型はおもちゃだ」と言われると、我々鉄道模型人としては物凄く引っかかってしまうところがありますよね。

 しかし、おもちゃはおもちゃでも、松本氏にとって鉄道模型はただのおもちゃではなく「特別なおもちゃ」なのだと私は思います。「おもちゃ」という言葉はよく、「こどもっぽい」「安っぽい」というような意味で使われがちです。残念ながら、そういった意味で「鉄道模型はおもちゃ」と世間から言われることは多いように私は感じています・・・。しかしおもちゃは本来「あそびの純粋な道具」であって、純粋に人の心を楽しませてくれるものだと私は思うのです。───子どもが鉄道のおもちゃで静かに何も言わず、集中してあそんでいるときに、ものすごく純粋で、そしてまっすぐな眼差しをしているように───そこに松本氏は「おもちゃ」の純粋性、鉄道模型の「おもちゃ」としての原点を見出したのだと思います。

 また、他にも松本氏は

“・・・このめまぐるしい現代社会では、大人にこそ、精神を原点に立ちかえらせるおもちゃが絶対に必要だと信じるようになった。・・・”

と語っています。しかし、「大人にこそおもちゃが必要」ということは一体どういう意味でしょうか?

 多忙な現代社会では、理不尽や筋が通らないことばかり・・・。そのような状況の中で自分の原点を忘れずにい続けることはなかなか難しいものです。そこで、そのような現代を生きる大人たちこそが、自分自身の原点を大切にするために「特別なおもちゃ」でのあそびを愉しむべきだ───そして鉄道模型こそがその「特別なおもちゃ」である───と松本氏は考えたのだと思います。

 鉄道模型はおもちゃではなく、精神性を秘めた「特別なおもちゃ」。松本氏の「けむりに巻く話」を読んで、改めて鉄道模型は奥が深いな、鉄道模型が好きでよかったな・・・!!と思いました。

 

(参考文献:「とれいん」創刊号/1975年/プレス・アイゼンバーン)